その 1 : 祁連(キレン)山脈の北麓 張掖(チョウエキ)
中国河西回廊 : 中国甘粛省の黄河から西、祁連山脈北側に沿った狭長な地域。砂漠の中にオアシスが点在し シルクロードの東端を形成。漢の武帝がここを占拠していた匈奴を撃退し、東西貿易路(シルクロード)を確保。 長さ1000Km 幅数Km~100Kmの廊下状の平地。
蘭州から中国高速鉄道(高鉄 : 新幹線)からの、蘭州では数日前からの雨が 4000mを超える祁連山脈は雪に覆われた、車窓風景。
羊の群れ
覆われた草原の雪も日中の強い日差しですぐに溶け出すよう。
草原の 菜の花
満開には少し早いようです
高速鉄道の、ウイグル族の車掌(アテンダント)さん。 気軽に撮影に応じてくれた。
約3時間半、車窓からの風景に見とれた。
西へ進むにつれ 草原から荒涼とした砂漠の景色へ
その 2 : 張掖 丹霞地貌(タンカンチボウ)
張掖駅で高速鉄道を降り、車で約40~50分。
東西45Km、南北10Kmにわたる断層地形群。「七彩山」「丹霞」と言われるように、紅色に霞のかかった色合いの広大な地層。太陽の光の具合により その表情が刻々と変化するといわれる
年間平均降雨量数十ミリの乾燥地帯とはいえ、最近は一時的に激しい雨に襲われることもあり、断層の風化が激しいとのこと。そのため 前は公園内バスで上のほうまで行けたのが、現在は中途までとなっている。
少女の横たわる姿に見えるだろうか
その 3 : 張掖 大仏寺 (宏仁寺)
西夏(タングート族)の永安元年(1098年)創建といわれる。内部に体長35m近くの寝釈迦仏(涅槃大仏)が横たわり、その周囲には これまた大きな十大弟子の塑像がずらりと並び、圧倒的な重厚感がある。
広大な伽藍には、山門、大仏殿、万聖殿、蔵経殿、土塔など900年の歴史ある古建築が並び、静謐な空気が漂う。
大仏殿の背後に、高さ33mのチベット仏教様式の金剛宝座塔 (土塔)
この地は、元の世祖 フビライの生まれたところとされている。
万寿寺木塔
1925年に再建されたもの、すべて木組みで釘を使用していない
炒炮(ショウホウ)
短いウドンと柔らかく煮込んだ豚の脂身を煮汁で炒めたもので、評判の老舗のもの。
前菜とのセットメニュー + ビール で50元(1000円)程度
孫記炒炮 老舗の店の名
6/20~22日は 中国で「端午節」といわれ3連休。 観光地はにぎやかである。
昼の時間をかなり過ぎていたが、店内は席待ちでごった返していた。
その 4 : 嘉峪関(カヨクカン)
張掖駅10:30 出の高鉄(高速鉄道)で約1時間半、比較的新しい嘉峪関の町に到着。人口18-9万人。道路も広く街路樹の緑が美しい。 ここからは、中国人ドライバーと蘭州から一緒の中国人ガイドとの3人の車の旅。
北京郊外八達峰起点の万里の長城は、黄土高原を経て西端の関所嘉峪関に至る。明代(1370年代)のもの。 内城、瓮城、羅城、外城、城壕からなり、高さ11mの城壁に囲まれた要塞。
それぞれの門の上に3層の楼閣(17m程の高さ)は見事。
ここ嘉峪関や張掖大仏殿などの古来神社仏閣などの遺跡が文化大革命により破壊されたという。いったい、文化大革命とはなんであったか。
舞台の見事な装飾
嘉峪関は「天下第一雄関」といわれ、祁連山脈、ゴビ砂漠、酒泉盆地を臨み、モンゴル族の侵攻を防ぐための城として、同時に ここからさらに西域へのラクダの隊商の出発地としての関所でもあった。
懸壁長城
峻険な山を駆け上がる長城。 頂上からの眺めが素晴らしかった。
羊の肉の入った麺
町から車で20分くらいのゴビ灘の中に「魏晋(ギシン)壁画墓」(魏晋期=200~400年の墳墓群)があり、内部の撮影は禁止だが、地下の墓室に被葬者の生前の生活を描いた鮮明なレンガがびっしりとはめ込まれ、見事。「4人の妻と3人の子供」を表しているのではないかという表記は、現在研究中とのこと。